優等生が適応障害になるまで③ ~コミュ障の出来上がり~
皆さん、こんにちは。
M.Iです。
さてさて、前回初めて「できない」を味わった私ですが、
その後どうなったのか。
結論、
特に変わりもなく日々を過ごしていきます。
といいつつ、確実に一つ大きな変化がありました。
コミュニケーションが下手になりました。
元々先輩とのコミュニケーションは得意なほうではありません。
人見知りも0ではありません。
ただ、絶対にコミュ障ではない、
そんな性格でした。
でもそんな私が、
圧倒的に自己開示に対して不快感を抱くようになったのです。
「最近何してるの?」
「いろいろですねw」
「仕事の進捗は?」
「まぁ楽しくやってますw」
こんな簡単なやり取りすら、
できるだけ避けたいと思うようになりました。
そして何より致命的だったのが、
質問ができなくなったのです。
「〇〇はどこにありますか」
「これどうすればいいですか」
「次は何をすればいいですか」
聞けなくなりました。
何もできない自分が口を開いてはならない、
先輩の時間を奪って聞くなんておこがましい。
そんなことを思っていました。
ただこれは、外的要因も一つあったかなと思います。
質問をするたびに先輩に言われていた言葉、
「ちゃんと調べた?」
「どの程度調べた?」
「オープンクエスチョンやめて、全部クローズにして」
そっか、ちゃんと調べないと、
わからないことがない状態を作らないと、
質問なんてそもそもしてはいけない!
と、普通の精神状態ならここまで思いつめなかったのかもしれませんし、
先輩もそんなつもりで言ったのではないと思います。
ただ、私の成長のため、社会人の基礎を教えてくださったのだと理解してます。
でもその時の私は、
質問する=悪だと、心の底から信じていました。
そうすると、先輩から見た私はどんな後輩でしょうか。
日常会話でもろくにコミュニケーションをとらず、
質問もせず一人でこなそうとし、
そのくせろくに成果も出せず、
注意をすると即座に反省する姿勢を見せるも爽やかさはない、
とても使いづらく絡みにくい後輩ができあがりました。
孤独でした。
社内だけではありません。
お客さんともコミュニケーションが取れず、
直接やり取りすることをできる限り避けていました。
典型的なコミュニケーション障害です。
そして徐々に私は、
いわれたことだけをこなす、
ありもしない100点を目指す、
マニュアルを守って「怒られない」「マイナスをうまない」ことをモットーにする、
典型的な指示待ち人間と化したのです。
バリキャリになりそうと、
優秀で聡明で活躍しそうと、
あれだけ言われていた私が、
本当に一ミリも活躍できない。
活躍どころか普通の仕事も、日常会話もできない、
こんなはずじゃなかったのになぁ。
そんなことを思いながら、数か月間、
必死にマニュアルをこなしていきました。
私って何をするために社会人になったんだっけなぁ
どうしたら私は、私が求めてた社会人になれたのかなぁ
このまま私はあと数十年間同じように過ごしていくのかなぁ
ってか私って、どうなりたいと、
どうなれると思ってたんだろうなぁ
そして、何も得られず何も生み出せずな半年間を過ごしていました。
一つの小石に躓いただけ、
たかが逆上がりができなかっただけで、
私は全科目赤点の劣等生になり下がったのでした。
さて、次回はそんな私が、
本格的に適応障害を発症していきます。
もうしばらく自分語りにお付き合いください。
それではまた次回、お楽しみに!