優等生が適応障害になるまで⑤ ~仕事・仕事・仕事~
皆さんこんにちは、
M.Iです。
突然ですが、皆さんは仕事が好きですか?
私は、今している仕事はとても好きです!
もっと早く成長したいし、
もっといろんな人に貢献したいし、
活躍したいし、一人前になりたいし、出世したいし、
そのために勉強なんかしちゃおうかなと思ってます。
本来、仕事ってそうあるべきものなのかなと思ってるんです。
だって我々、この先数十年も働くんですよ。
せっかくやらなきゃいけないことをやらなきゃいけないのなら、
楽しいなと暗示をかけながらやったほうがお得じゃないですか。
しかし去年、
社会の荒波の最中にいた私は、
一ミリもそんな感情は抱けませんでした。
入社前は、やりがいを持って働きたいと思っていたし、
私はそれができる人間だと漠然と信じていました。
でも実情は、
辛くてきつくて悲しくてむなしくて、
なんのためにやってるのかすらわからない「作業」を、
ただただ波風を立てないためだけにこなしている…
私にとって「仕事」は、苦痛でしかない存在でした。
その仕事が、ある日突然倍になりました。
今回はそんなお話です。
1年目の私が、10年目の方の仕事を、
+αで引き受けることになりました。
ある日突然そんな通知をされたとき、
ああ、無理だなぁ、なんて思いました。
正確には、感じました。
考えてなんかいませんでした。
なんせ私は与えられたものをこなすだけのマシーンなので、
周囲が「お前はやれる」といってくるのであれば、
おそらく私はやれるんだろうと。
疑う労力も面倒だったのです。
計算上、工数は間に合うよといわれました。
みぃさん、大丈夫だよね?
これからちょっと大変になるかもだけど、
みぃさんならできるはずだから、引き続き頑張ってね!
そんなことも言われた気もします。
「いっぱいいっぱいになったとき、誰を頼ればいいですか。」
そんな相談をした気がします。
返ってきた答えは、
みぃさんが責任者なんだからみぃさんが頑張るんだよ!
何かあったら相談してね!
だったような気がします。
この時には何の感情も抱いていませんでした。
ああ、何も見られてないんだなぁ。
私の苦痛は誰にも伝わってないんだなぁ。
ただぼんやりとそんなことを思いながら、
「ハイ頑張ります」と大きくうなずいていました。
余談とはなりますが、
昔から私は負の表情が表に出にくい子供でした。
楽しい!うれしい!面白い!おいしい!は表に出るんです。
大げさすぎてそんなに!?といわれるくらい。
でも、悲しい、むかつく、うざい、嫌だなという感情は、
かろうじて語気に現れるくらいで、よっぽどの仲良しにしか伝わらない、
そんな子供でした。
それは今も変わらず、
私のいっぱいいっぱいさは、思ったより周囲に伝わってないんだと痛感しました。
まぁ、私の場合。
自業自得もいいところです。
だって、一度も「無理です!多いです!誰か助けてください!」なんて言わなかったんですから。
私が傷ついてることに気づいてほしい!だなんて、
カフェで女友達に彼氏の愚痴を話してるしょうもない女のような、
そんな幼稚さによって、見事に自滅したのです。
一見器用に見える優等生は、
涼しい顔を見せながら、水面下でバタ足もままならず溺れていました。
でも、それでもまだ、
私は私を信じていました。
私ならなんとかする、
与えられたことはなんとかする、
やればできる。大丈夫。
まだ本気を出してないだけ、なんて、
絵にかいたような引きこもりニートさながらのいたいけなプライドを胸に、
私は「やります。」と回答し、倍の仕事をすることになりました。
そして業務量が2倍になった私は、
見事に押しつぶされました。
多方面からの圧。
自分自身の圧。
先輩の圧。
お客さんからの圧。
協働者からの圧。
ぺしゃんこでした。
それでも私は、
ぺしゃんこになってもなお、自分で空気を吸えると思っていました。
ぺしゃんこになったのは私だけが悪いとも思っていました。
澄んだ プールに投げ込んでもらったはずなのに、
ここが泥沼であるはずがないと。
自分が勝手に溺れてしまったのだと。
だから自分で空気を吸わなければならないとも、思っていました。
でも私にはポンプを見つけることも、
自力で浮き輪を作ることもできませんでした。
そして、決定的な事件が起こりました。
それが、今の社会問題…
コロナウイルスの蔓延でした。
それでは今回はここらへんで。
また次回、お楽しみに!